返事が来なかった


送ったメールに、返事は来なかった。

三通目を書きながら気づいた。返ってこないんじゃない。返す価値がない、と言われているのだ。私はその分野のことを、何ひとつ知らなかった。

直属の上司からの引き継ぎは、一言だった。 「難しい。でも需要がとにかくデカい。やれ」。 はい、と答えた。それで終わりだった。難しさの中身も、大きさの桁も、誰も教えてくれない。

手元には立派な資料があった。 外部が作った戦略と、市場規模。数字が並び、成長率が引かれている。 だがそこには、なぜそれが必要とされているのかが書かれていなかった。 どれだけ難しいのかも、いくら先に突っ込まなければならないのかも、その内訳も、一行もない。 書けるわけがなかった。泥を被っていないからだ。

私は化学の人間で、目の前にあるのは化学ではなかった。 練り物の世界だ。混ぜて、こねて、何かの機能が立ち上がる。 その「何か」が、どれだけ調べても身体に入ってこない。言葉は読める。意味が入らない。数式を追っても、現場がその通りに動く保証はどこにもなかった。

だからメールを送った。返ってこなかった。

しばらく、何も動かなかった。 そして、本部のずっと上の人が、一人のエンジニアを紹介してくれた。直属の上司の判断ではない。 私が資料の穴を指摘したからでもない。ただ、進まなかったからだ。

その人は、いかにも現場が好きそうな凄腕エンジニアだった。少しオタクっぽくて、話し始めると止まらない。私が持っていける手土産は、何もなかった。

そして、全部くれた。知識も、レシピも、人も、取引先も。

あとで、筋道が見えた。その人が動いたのは、私のためではない。 紹介してくれた、本部のずっと上の人への恩義だった。 そして取引先が首を縦に振ったのも、私を見たからではない。その人が長い時間をかけて通してきたパイプがあったからだ。「あなたが言うなら」——そう言われたのは、私ではなかった。

恩がひとつ、上から流れてきて、パイプがひとつ、横に伸びていた。私はその交点に、たまたま立っていただけだった。

返事が来るようになったのは、そこからだ。 私が賢くなったからではない。借り物の信用が、私の前を歩いていた。

そして私は、返さなかった。

上からは「あの人から何を引き出せるか」が繰り返し降りてきた。だが「あの人に何を返したか」は、一度も聞かれなかった。直属の上司も管理しなかった。 当然だ。 返礼は、どの評価軸にも乗らない。乗らないものは管理されず、管理されないものは踏み倒される。

私の部署はというと、返ってくる金の話ばかりしていた。 先に出す投資と、その先にある価値の話を、誰もしていなかった。 あの資料に内訳が書かれていなかったのは、たぶん偶然ではない。見ていないものは、書けない。

気づいたのは、ある打ち合わせだった。その人が、私の直属の上司に対して機嫌を損ねていた。 与えて、連絡がなくて、また与えて。 その連鎖に、静かに怒っていた。矛先は私ではなかった。だからこそ、逃げ場がなかった。

踏み倒したのは私だ。二十六歳だった。 返し方を知らなかったし、何を失うのかも分かっていなかった。 仕組みがなかったことは、私が返さなかったことの説明にはなっても、免罪にはならない。

返す方法を知らなかったのではなく、返すという選択肢そのものが、視界に入っていなかった。

あれ以来、技術的に優れた人には必ず何かを返すようになった。 わざとらしいのは自分でも分かっている。それでも返す。

凄い人は、恩で動く。それ以外は、権力で動く。私は前者の側にいたい。

あの案件は、その後うまくいかなかった。 戦略ごと頓挫して、半ば夜逃げのように終わった。 あの人とは、それきり繋がっていない。 返す機会は、もうない。

恩の残高は、どの決算にも出ない。 出ないのに、人が残るか去るかは、たぶんそれで決まっている。