どちらかは、ポエムだ
会社には、たいていスローガンがある。
挑戦しよう、変わろう、新しい価値を、といった類の言葉だ。年度の方針として降りてきたり、額に入って壁に貼ってあったりする。
あれを本気にしている人を、私は見たことがない。
誰も、読んでいない
反発があるわけではない。もっと静かだ。
若手が資料の最後のページに、埋め草として入れる。上が喜ぶからだ。喜ぶのは経営陣と人事くらいで、あとは全員が同じ顔をしている。
冷笑ですらないかもしれない。そもそも意味が取れないのだ。抽象的すぎて、何をどうしろと言われているのかが分からない。だから解釈されないまま、資料の中を流れていく。
前に、制度が使われるかどうかは、その出口が効く場所に繋がっているかで決まる、という話を書いた。
スローガンも同じだと思う。
その言葉に沿って動いたとして、その先に予算も人もついてこない。挑戦しようと言われて挑戦しても、通す先の審査は何も変わっていない。だから、上に持っていく意味がない。
繋がっていない言葉は、読まれない。
「足りないものを掲げる」だけでは足りない
こういう話をすると、よく出る整理がある。
掲げられている言葉は、その会社に足りていないものだ。挑戦しようと大きく書く会社では、挑戦が起きていない。足りているものを、わざわざ標語にはしない。
これは正しいと思う。ただ、これだけでは診断にならない。
どの会社にも、何かは足りていないからだ。足りないものを名指しているというだけなら、全部の会社が該当する。それでは何も測れない。
もう少し、使える見方はないか。
同じ紙の上に、両方書いてある
会社を出てから、以前いた会社の開示資料を読む機会があった。
そこには、挑戦とか、革新とか、そういう言葉も書かれていた。社内で掲げられていたものと同じ種類の言葉だ。
そして同じ資料の中に、選択と集中、利益率の確保、経営基盤の強化、といった言葉も並んでいた。
正反対のことが、一枚の紙の上に書いてある。
不思議に思えるが、たぶん珍しいことではない。挑戦の言葉は理念のページに、選択と集中は戦略のページに置かれる。書いている人も、矛盾だとは思っていないのだろう。
だが、両方が本当ということはない。
どちらかは、ポエムだ。
見分け方は、具体性だった
では、どちらがポエムなのか。
これは、比べればすぐに分かる。
具体的に書いてあるほうが、本当だ。
「選択と集中」には、中身がある。何かを選び、何かを選ばない、と言っている。選ばれないものが存在すると宣言している。「利益率の確保」も、目標の数字が置かれ、達成が測られる。「経営基盤の強化」には、財務の話がぶら下がっている。
どれも、やることが確定していて、後から検証できる。
一方、「挑戦」「革新」には、何も書かれていない。何に挑戦するのか、何を革新するのか。それがどこにも書いていない。
検証もできないし、反証もできない。
だから外しても誰も困らない。守らなくても、誰も責任を問われない。
書くコストがゼロで、破るコストもゼロの言葉は、そもそも約束ではない。
資源の行き先を見れば足りる
もう少し実務的に言えば、こうなる。
予算と人がどちらに動くかを見ればいい。
抽象的な言葉に沿って、人が増えたり金が増えたりすることは、まずない。増えるのは、具体的な方針が指しているほうだ。
言葉は両方書いてあっても、資源は片方にしか行かない。
そして資源が行っていないほうが、ポエムである。
守りの言葉が並ぶということ
そう読んだとき、私は「いよいよ来たか」と思った。
選択と集中、利益率の確保、基盤の強化。具体的に書かれていたのは、全部、いまあるものを守る言葉だった。
すでに回っているものを少し良くする。落ちないようにする。それ自体は正しい経営で、短期的にはたいてい当たる。
だが、まだ何も生んでいないものに金を置く、という話はそこにはない。
つまり、次の柱を作ることは、当面やらないと宣言している。
社内で何を掲げていようと、関係ない。金の流れる先が、そう言っている。
冷笑は、読むことの放棄だった
ここまで書いて、自分のことを思う。
中にいたころ、私はスローガンを冷笑していた。またポエムか、と思って、それ以上考えなかった。
だが、開示資料は読めば読めた。
誰でも読める。外部の人間でも読める。中にいたのだから、なおさら読めたはずだ。
並べて比べるだけで、この会社が何をやろうとしているかは分かった。分かっていれば、もっと早く動いていたかもしれない。
私は、笑って済ませていた。
冷笑は、批判のように見えて、実は読むことをやめる行為だった。意味がないと決めてしまえば、読まなくて済む。読まなければ、何も判断しなくて済む。
ポエムを笑うのは簡単だ。
その隣に置かれた本音を読むほうが、たぶん役に立つ。