UnderStory

組織の石垣が、何で軋んでいるかの記録

現場

進むはずだ、と、進まない

その工場に着いたのは、朝の十時ごろだった。

夏だった。空港を出て車で走り、やがて海沿いの道に出る。瀬戸内のあたりだ。着いた先は、とある企業の工場だった。設備の発注元で、これから性能試験をやる。降りて数分で、シャツが背中に貼りついた。

現場に、モニターがあった。中央操作室のような立派なものではない。装置から少し離れたところに置かれた画面だ。そこに線が二本、走っている。

一本は差圧。反応器の入口と出口の圧力差。原料を入れはじめてすぐ、じわじわと上がりはじめた。詰まりかけている、という意味だ。

もう一本は温度。こちらは問題なかった。設定した値に、ちゃんと届いている。

届いているのに、反応が始まらない。

ラボでは進んだ。何度も進んだ。同じ配合、同じ温度、同じ手順。だから上げた。上げたら、進まなかった。

連続で原料を入れていく系だった。最初に外から熱をかけて反応を開始させれば、あとは反応そのものが熱を出す。その熱が次を起こし、また次を起こす。連鎖していく。外の熱を絞っても回り続ける。そういう設計だった。

繋がらなかった。

入れた分が、冷たいまま溜まっていく。溜まったものが流れを狭くする。狭くなった場所は、いよいよ混ざらない。混ざらないから熱が伝わらない。伝わらないから反応しない。反応しないから、また溜まる。差圧の線が上がる。

設定温度には届いている。届いているのに、熱が「そこ」まで行っていない。温度計が測っているのは、温度計のある場所の温度でしかなかった。

言い分は、きれいに分かれていた。

ラボ側は、進むはずだ、と言う。計算はしてある。実験もしてある。条件は満たしている。だから進むはずだ。

現場は、進まない、と言う。理屈はいい。現に止まっている。見に来い。

だから行った。

反応器を開けて、中身を掻き出した。手に取ったそれは、原料のままだった。色も、形も、入れたときと変わっていない。まったく反応していなかった。

正直に書くと、その場では原因が分からなかった。混ざっていないことは分かる。なぜ混ざらないのかが分からない。汗を拭きながら、掻き出したものを袋に詰めて、持って帰った。

分かったのは、しばらく経ってからだ。持ち帰った原料をラボで調べて、ようやく見えた。

仕入れ先によって、少し違っていた。規格には収まっている。試験成績書のどの欄も、範囲内だ。それでも違った。粒の揃い方が、湿り気の残り方が、わずかに違う。その差が混ざり方を悪くして、混ざらないことが熱を止めていた。

ラボの式は、原料が均一であることを暗黙に仮定していた。仮定が書かれていなかったのは、それが仮定だと誰も思っていなかったからだ。ラボで使う原料は、いつも同じ袋から出てくる。均一なのが当たり前で、当たり前のものは変数にならない。

その工場では、袋が違った。

つまり、行った意味は「現場に立てば閃く」ということではなかった。閃かなかった。行った意味は、失敗した現物をこの手で持ち帰れたことだ。写真では持って帰れない。報告書でも持って帰れない。掻き出して、袋に詰めて、飛行機に載せるしかなかった。

そこから条件を振り直した。最終的には、原料が多少ばらついても回るように、レシピの側を広げていこうとした。どの袋が来ても走る、という方向だ。ずいぶん時間をかけた。

評価はされなかった。

そのテーマは、すでに下駄を履いた状態で走っていた。できることになっている。動くことになっている。だから止まったものを動かし直しても、それは成果ではなく、前提の回復でしかない。ゼロに戻しただけ、という扱いになる。

上のほうで議論されていたのも、なぜ止まったのかでも、どうすれば再発しないのかでもなかった。どう見せるか、だった。

そして私は、報告書を書かなかった。

数年後、今度は山あいの工場で、同じことが起きた。原料がばらついて、混ざらなくて、熱が伝わらない。症状も同じ、原因も同じだった。

またこの感じか、と思った。

思っただけだ。誰かが過去の記録を引っ張り出してきたわけではない。前の件を書いた紙は、どこにも存在しなかった。私が書かなかったからだ。残っていたのは、同じ現場に二度立った人間の、身体の記憶だけだった。

今になって思う。あの会社には「動けばいい」はあった。「記録に残して、次に渡せる形にしなければならない」が、まるでなかった。規模でいえば大企業なのに、やっていることは零細だった。当時はそれが普通だと思っていたが、異様だったと思う。

火消しが成果にならない場所では、火の消し方は記録されない。記録されないものは共有されず、共有されないものは次に渡らない。だから同じ穴に、また落ちる。

そして落ちても、誰も損をしない。決算のどこにも出ないからだ。

規格内の差が、プラントを止める。

止めた原因は、現物を持ち帰った人間にしか分からない。

そしてその人間が書かなければ、組織は同じ場所で、二度止まる。