仕事が遅い、と言われた
直属の上司に、そう言われた。
反論はしなかった。事実として遅かったからだ。ただ、今でも思っている。まともな情報を一つも渡さずに、それを言うのか、と。
その一年、私は暇ではなかった。
朝来て、実験をする。分析をする。数字は出る。手は動いている。傍から見れば、普通に働いている人だった。
分からなかったのは、その先だ。
出た結果が良いのか悪いのか、判断がつかない。何と比べればいいのかが分からないからだ。この数値をどう展開したいのかも分からない。聞けば答えは返ってくる。ただ、聞く人によって答えが違った。
そもそも、このテーマが何の上に乗っているのかが分からなかった。誰が困っていて、何を解こうとしているのか。どういう経緯でここに降りてきたのか。手元にあるのは、やるべきことだけだった。
仕事はあった。文脈がなかった。
資料のないまま、計画を立てる
やがて、実験結果をもとに計画を立てることになった。
資料はない。現場も見ていない。設備がどこまで変えられるのかも知らない。何が正解とされるのかも聞いていない。それでも、出せる数字は実験結果しかないので、それをもとに組む。
工場に持っていった。失敗した。
当然だった。手元の数字は、現場の制約を一つも含んでいない。含めようがなかった。制約を知らないのだから。
そしてそのテーマは、別の人に引き継がれた。私は、何が正解だったのかを最後まで知らないまま渡した。引き継ぎ書に書けることが、ほとんどなかった。
飼い殺し、という言葉がある。
一年経ってから、その状態がそれだったのだと分かった。ただ、私が想像していたものとは違っていた。仕事を与えられない状態ではない。仕事は与えられるが、その仕事が何につながっているのかを渡されない状態だ。
給料は出る。手は動く。だが、自分がやったことが何を動かしたのかが、一度も返ってこない。
単身赴任して、分かったこと
転機は、工場に数ヶ月住み込んだことだった。
理由は前向きなものではなかったと思う。ただ、行ってしまえば話は早かった。何ヶ月も同じ場所にいると、聞かなくても入ってくる。誰が何をしていて、何に手を取られているのか。
そして、分かった。
生産は、律速ではなかった。
私が一年かけて改善しようとしていたところは、確かに少し困ってはいた。だが、そこが全体を止めているわけではなかった。
止めていたのは、一人の人間の時間だった。
現場をよく知るキーマンが、昇進していた。そして昇進した先で、顧客への細かい対応に追われていた。日々の問い合わせ、個別の要望、その場その場の判断。全部その人のところに集まっていた。
その人が動けないので、現場全体が回らない。
回っていないので、改善要求が出てこない。改善を挙げるには、まず改善を考える余裕が要る。その余裕がない状態では、困っていることすら言語化されない。
つまり、私に情報が来なかったのは、誰かが隠していたからではなかった。情報を出せる状態の人が、一人もいなかったのだ。
上司も、たぶん持っていなかった。持っていないものは渡せない。
私はそこから、生産の改善ではなく、顧客対応の負荷そのものを下げる仕組みを作りにいった。データベースを設計した。回っていないところを回すのが先で、改善の議論はその後だった。
因果が切れている、ということ
あの一年が何だったのかを、今なら言葉にできる。
きつかったのは、忙しさではない。安く使われたことでもない。むしろ待遇に不満はなかった。
きつかったのは、自分がやったことが、何にも接続していなかったことだ。
上流が見えない。だから何のためにやっているのか分からない。下流も見えない。だから自分の結果がどこに落ちたのかも分からない。前後を切断されたまま、真ん中だけを回している状態だった。
働いていて楽しかった時期のことを思い出すと、全部逆だった。自分がやることが、そのままテーマの生死に直結していた。裁量があって、難しくて、手応えがあって、その先の展開が自分の上に乗っていた。
あれは、承認されていたから楽しかったのではない。因果が自分を通っていたからだ。
飼い殺しは、その線を切る。金だけが流れて、それ以外が止まる。搾取のほうがまだましだ、と言うと語弊があるが、少なくとも搾取される人間の労働は、どこかに接続してはいる。
それでも
構造としては、理解した。
キーマンは溺れていた。上司も情報を持っていなかった。誰も悪意で私を止めていたわけではない。全員が、それぞれの持ち場で足りていなかっただけだ。
そう分かった今でも、ひとつだけ収まらないものがある。
情報を渡さなかった人間が、遅さを責めた。
構造が説明するのは、なぜ情報が来なかったか、までだ。渡せないものを渡せなかったことは、責められない。
だが、渡していないことを知りながら、遅い、と言うのは別の話だと思っている。
あれは、構造の問題ではない。