UnderStory

組織の石垣が、何で軋んでいるかの記録

現場

難しかったが、分からなくはなかった

そのテーマは、畳まれる寸前だった。

予算が細っていて、成果が出なければ次はない。そういう状況で引き継いだ。誰の目にも、長くはもたないと映っていたと思う。

今から振り返ると、あの時期が一番楽しかった。

顧客が、乗ってきた

やったことは、たぶん特別ではない。

その材料が何のために求められているのかを、まず自分で理解しにいった。どういう場面で使われて、何が足りなくて、代わりに何が使われているのか。技術的な性能の話ではなく、なぜそれが要るのか、という側から入った。

理解した上で、それに応えるデータを作って、持っていった。

乗ってきた。しかも、一社ではなかった。

複数の相手が、同時に興味を示した。そこから話が動きはじめて、細っていた予算が戻り、テーマは畳まれなかった。

自分が理解して、自分が実験して、自分が持っていったものが、そのままテーマの生死を変えた。あんなに分かりやすく効いたことは、後にも先にもあまりない。

ほとんど、自分で決められた

裁量という言葉で片付けたくないのだが、実際そうだった。

予算は潤沢になった。どういう実験をするか、その結果をどう解釈するか、誰にどう報告するか。全部、自分が決めて、自分が責任を負った。

当時の自分の視野の範囲では、決められないことがほとんどなかった。

これは幸運だったと思う。ただ、幸運の中身をもう少し正確に言うと、決めたことの結果が、自分に返ってきたということだ。うまくいけば進み、外せば止まる。その対応がはっきりしていた。

難しさの種類が違う

そのテーマは、技術的には難しかった。

知見がなかったからだ。自分が学んできた領域とは違う。何をどう測ればいいのかも、最初は分からなかった。

だが、苦しくはなかった。

別の時期に、まったく同じ「分からない」を、耐えがたいものとして経験したことがある。実験はしている、手は動いている、それでも何のためにやっているのか分からない、という状態だ。あれは本当にきつかった。

同じ「分からない」なのに、なぜ片方は楽しくて、片方は苦痛だったのか。

しばらく考えて、こういうことだと思っている。

あのとき、分からなかったのは「解き方」だけだった。

何が足りていないのかは、分かっていた。それが分かるところまでは、自分で辿り着いていた。相談できる相手も見つけられた。そして何より、解けたら何が起きるのかが見えていた。

不明には、境界があった。

もう一方の時期は違った。何が足りないのかが分からない。何が課題なのかも定まらない。聞く人によって答えが違う。そもそも、この仕事が何につながっているのかを知らない。

不明に、境界がなかった。

難しい、というのは、解くべきものが定義されている状態の話だ。分からない、というのは、それ以前の状態を指す。

同じ言葉で語られがちだが、この二つは別のものだと思う。境界のある難しさは、たぶん人を楽しくさせる。境界のない不明は、人を止める。

脚光を浴びて、終わった

その時期がどう終わったかというと、失敗して終わったのではない。

うまくいったので、上の目に留まった。複数の顧客がついて、話題になって、社内で名前が挙がるようになった。

そして、方向が変えられた。

高い付加価値のものを少量作る、という筋だったものが、量を追う方向へ寄せられていった。数字を大きく見せたかったのだと思う。小さくて価値の高いものは、その物差しでは、ほとんど何も乗っていないのと同じに見える。

理屈は分かる。会議の資料に載せるとき、桁が小さいものは説明が難しい。だから桁が出る方へ振る。

ただ、桁が出る方向は、そのテーマが選ばれた理由とは違う方向だった。

顧客が乗ってきたのは、量が出るからではなかった。他にないものだったからだ。そこを薄めれば、乗ってきた理由も薄まる。

幸福な時期は、成功によって終わる

いま思うのは、こういうことだ。

あの時期に何が起きていたかというと、因果が自分を通っていた。自分がやったことが、自分を経由して、結果として現れていた。効いたか効かなかったかが、はっきり見えていた。

そして、その状態が終わったのは、失敗したからではない。

注目されたからだ。

注目されると、上が乗ってくる。上が乗ってくると、上の物差しが一緒に乗ってくる。物差しは、そのテーマが小さかったからこそ持てていた自由を、順番に潰していく。

畳まれかけていた頃は、誰も見ていなかった。見ていなかったから、好きにできた。好きにできたから、効いた。

効いたから、見られるようになった。

そこで終わった。