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組織の石垣が、何で軋んでいるかの記録

現場

隙間が、仕事になっている

いま、海外の工場にいる。立ち上げの最中だ。

私は化学の技術者ということになっている。だが実際にやっているのは、図面どおりに施工できているかの確認と、制御が想定どおりに効いているかの検証だ。機械を動かして、動かなければ原因を分解して、担当者に上げる。

プロセスの検証は、まだこれからだ。本来の担当に入る前の段階に、かなり深く首を突っ込んでいる。

化学の人間がやることではない、と言われれば、そのとおりだと思う。

隙間が空いている

なぜそうなっているかというと、単純に人が足りない。

会社の規模が小さい。日本の大企業のように、工程ごとに担当がいて、その担当がさらに専門ごとに分かれている、という構造ではない。一人が広く持つ。持ちきれないところは、空く。

特に空いているのが、制御まわりだ。見ている人が一人しかいない。その一人が抱えきれる量を超えている。

だから、こちらが拾いにいく。図面を見て、盤を見て、動きを見て、当たりをつけて渡す。渡すときには、こういう順で見てほしい、というところまで作って渡す。相手に余裕がないぶん、手前で分解しておく。

その間を拾っている、という感覚が、いま一番強い。

日本にいたときは、これが仕事にならなかった。境界を越えて動くことは、誰の担当でもない。担当でないものは評価表に欄がない。何度やっても、数字にならなかった。

ここでは、それが仕事になっている。

能力差と、通り道

来てすぐに感じたのは、人によるばらつきの大きさだった。

日本の大きな会社にいると、人の能力はもう少し均されている。採用の段階で揃えて、研修で揃えて、配置で揃える。上も下も、ある幅の中に収まる。

こちらは、そうではない。びっくりするほどできる人がいて、そうでない人もいる。

ただ、それが困るかというと、あまり困らない。組織が小さいので、通すところさえ間違えなければ、たいていのことは通る。誰に持っていけばいいかが分かっていれば、階層を上がったり下がったりしなくて済む。

日本で苦しかったのは、能力ではなく通り道のほうだった。誰に聞けばいいのかが分からず、聞いても答えが違い、資料も来ない。

ここは、道が短い。

因果は、通っている

以前、自分がやったことがどこにも接続しない一年を過ごしたことがある。手は動いていて、給料も出ていて、それでも自分がいなくても同じだった、という状態だ。

いまは、違う。

自分が見つけたものが、そのまま直る。自分が渡した分解が、そのまま次の手になる。効いたか効かなかったかが、その日のうちに分かる。

因果は、確実に自分を通っている。決められる範囲も、ある程度ある。

遅れは常態化しているし、リソースはずっと足りない。だが不思議と、大きなプレッシャーは感じていない。むしろ仕事に集中できている。

きついはずの条件が揃っているのに、きつくない。ここは自分でも面白いと思っている。

需要が供給を上回っているあいだだけ

なぜここでは働けるのかを、少し考えた。

たぶん、こういうことだ。

やるべきことの量が、使える人の量を上回っている。そういう状態では、隙間が大量に空く。誰の担当でもない仕事が、あちこちに落ちている。

隙間を拾える人間は、そこで初めて価値になる。拾わなければ全体が止まるからだ。

逆に、やるべきことより人が足りている状態では、隙間は空かない。全部が誰かの担当になっている。そこへ隙間を拾いにいく人間が入ると、越権になる。

同じ振る舞いが、片方では貢献で、片方では迷惑になる。

これは自分の性質の問題ではなく、場の性質の問題だった。

そして、立ち上げが終われば、この場は反転する。担当が決まり、量が落ち着き、隙間は閉じる。そのとき、私の持ち味は再び測れないものに戻る。

帰ったあとのこと

だから、帰国後にこれが評価されるとは思っていない。

そもそも、いまここでも、上から高く評価されているわけではない。結果を上へきちんと報告する人は別にいる。現場を回す人と、報告する人は、別の役割だ。そして評価は、後者に付く。

プロジェクトが終われば、私は帰る。残ってほしい人として選ばれてはいない。コストが高くつくので帰す、というのは、経営として正しい判断だと思う。

そのことに、あまり感情はない。会社に執着があるわけではないし、日本のほうが好きなので、帰ること自体は望むところだ。

ただ、帰った先には、隙間の空いていない場所が待っている。測る物差しは戻り、私の働き方は、また欄の外に出る。

そこへ戻る意味は、たぶんない。

褒めて、去る

決めていることが、ひとつだけある。

去るときに、残る人の功績をできるだけ大きくして帰る。

自分がやったことを主張して帰る、という選択肢もある。だが、私はもう出ていく。ここで積み上がった評価を持ち出しても、行き先では使えない。使えないものを取り合っても仕方がない。

残る人には、意味がある。

これは、たぶん昔の失敗が効いている。

社会人になって間もないころ、まったく知らない分野に放り込まれて、ある人に全部を教えてもらったことがある。知識も、進め方も、話を通す相手も。その人に見返りは何もなかった。

私は、返さなかった。

返し方を知らなかったし、何を失うのかも分かっていなかった。そのまま案件が終わって、関係も切れて、返す機会は永久になくなった。

あれから十年ほど経って、いま思うのは、返せる相手がいるうちに返しておくしかない、ということだ。

功績は、ここに置いていく。持ち出すのは、覚えたことだけでいい。