出しても何も起きないと分かっているもの
どこの会社にもある、改善提案の仕組みというものがある。
現場で気づいたことを挙げて、良いものは採用して展開する。趣旨としては、まったく正しい。
私のいたところにも、それがあった。そして、誰も本気にしていなかった。
誰も信じていない、というのは全部に出る
信じられていない制度は、あらゆるところに症状が出る。
会議で誰も質問しない。反対も出ないし、掘り下げもない。早く終わらせたい空気だけがある。
提出される資料は、なぜか立派だ。体裁が整っていて、書式も守られている。ただ、中身に踏み込んだ議論は起きない。
担当している本人が、いちばん冷めている。説明はする。だが、それを本当に良いと思っているかは、聞かなくても分かる。
そして飲みに行くと、全員が同じことを言う。
これらは別々の症状ではなく、たぶん同じ一つのことの表れだ。
続いている理由は、単純だった
なぜ止まらないのか。
上が言い出したからだ、というのが、たぶん一番大きい。始めた人がまだいる、あるいは始めたこと自体が実績になっている。止める提案をする人には、何の得もない。
そして続いているうちに、それは強制になった。
出さなければならないので、出す。出すために、考える時間を取る。だがその時間は、本当に考えたいことに使われていない。制度を満たすための検討に、時間が使われる。
一番きついのは、ここから先だ。
本当に改善したいことは、その仕組みを経由して上がってこない。
現場で本気で困っていることは、あの様式に載せにくい。載せても伝わらないし、伝わっても動かない。だから、別のところで、直接、その場で片づけられる。
制度が空回りしているだけなら、まだいい。だが実際には、その制度があることで「改善の要求はここから上がってくる」ということになっている。上から見ると、ちゃんと回っているように見える。
回っているのは形式だけで、中身は別の経路を流れている。
本気で使われる制度もある
一方で、同じ会社の中に、明らかに本気で使われている制度もあった。
異動の希望や、人事に関する申告のようなものだ。あれは、皆かなり真剣に書く。何をどう書くか悩むし、時期になると話題にもなる。
同じ会社の、同じ人たちだ。片方は形だけで、片方は本気になる。
何が違うのか。
たぶん、効く場所に届くかどうかだ。
異動の希望は、実際に人事の判断に影響する。全部が通るわけではないが、通ることがある。だから書く。
改善提案は、出した後どうなるかが見えない。良いと言われて終わる。あるいは何も言われずに終わる。だから書かない。書いても、通すための書き方をする。
制度が形骸化するのは、人のやる気の問題ではない。出しても何も起きないと分かっているものに、本気を出す人はいない。それは怠慢ではなく、正しい判断だ。
逆に言えば、接続している制度は、放っておいても使われる。使ってくれと言わなくていい。効くと分かっていれば、人は勝手に使う。
だから、制度が使われていないときに「意識が低い」と言うのは、たぶん見当違いだ。見るべきなのは、その制度の出口がどこに繋がっているかである。
繋がっていないなら、何をしても使われない。
私も、信じていなかった
ここまで書いておいて、自分のことも書いておく。
同じ会社に、社内公募の制度もあった。手を挙げれば、別の部署へ移れる仕組みだ。
そして実際に、別の部署の人から「うちにおいでよ」と言われたことがある。一度ではない。
本気だったのか、その場の話だったのかは、いまも分からない。
だが私は、確かめなかった。
制度そのものを、当てにしていなかったからだ。どうせ上を経由するのだろう、どうせ止められるのだろう、どうせ形だけだろう。そう思って、手を挙げなかった。
先に、誰も信じていない制度のことを批判的に書いた。だがそれを言う資格が自分にあるかというと、たぶん、あまりない。
私も、確かめないまま「信じない」ほうを選んでいた。
手放したのは、制度ではなかった
ただ、いま振り返って一番惜しいのは、制度を使わなかったことではない。
声をかけてくれた人たちと、連絡を取らなくなったことだ。
社内の人間関係というのは、いつでも会えると思ってしまう。同じ会社にいるのだから、必要になればまた話せる。そう思って、維持しようとしない。
だが、いま考えると、あれは一番確かな関係だった。
理由は単純で、社内では、看板が全員同じだからだ。
社外の人が自分に良くしてくれるとき、そこには会社の名前が混じっている。どこまでが自分に向けられていて、どこからが看板に向けられているのかは、正直、分からない。
社内は違う。同じ会社の、同じような肩書きの人間が大勢いる中で、わざわざ声をかけてくれたのなら、それは私を見ていたということになる。
一番混じり気のない評価だった。
それを、私は当てにしなかった。
そして部署が変わり、会社が変わり、連絡は自然に切れていった。
制度のほうは、使わなくてよかったのかもしれない。
だが、あの人たちとは、繋がっていてよかった。