種は、生まれる前に死んでいた
営業の人と話す機会が、たまにある。
前の会社でも、いまの会社でも、何度かあった。そのたびに同じことを思う。
この人たちのほうが、いい種を持っている。
現場を、本当によく知っている
彼らは、こちらより圧倒的に現場を知っている。
なぜあの契約が取れたのか。なぜあれは取れなかったのか。相手がいま何に困っていて、何を言えないでいるのか。値段の話がどこで詰まったのか。
そういうことを、具体的に知っている。
しかも、持っている解が現実的だ。研究開発が考える解は、しばしば理想が混ざる。彼らの話は違う。明日から使える形をしている。
話を聞きながら、これは本当にいいテーマになる、と何度も思った。
そして毎回、同じところで止まる。
接続先がない。
彼らはそれを研究開発に渡す経路を持っていないし、こちらもそれを受け取りにいく経路を持っていない。
それぞれは、優秀だった
会社の中には、優秀な人がたくさんいる。
営業は、顧客と現場を知っている。技術の人間は、原理と作り方を知っている。工場の人は、実際に何が起きるかを知っている。
個別に見れば、どこも欠けていない。
だが、繋がっていない。
新しい開発の許可を取るとき、その根拠として書かれるものを見ると、だいたい通り一辺倒だった。実際に起きた技術的な不具合に、後からレンズを嵌めるような説明か、あるいは単純にコストを下げます、という話か。
営業が持っている、あの具体的な話は、そこにほとんど入ってこない。
入れようがない。受け渡す仕組みがないからだ。
接続が、確約されていない
なぜ渡らないのか。
意地悪をしているわけではない。仲が悪いわけでもない。
渡すときに、人を経由するからだ。
営業が何かに気づいたとして、それを研究開発へ届けるには、まず自分の上司に話すことになる。その上司が意味を理解し、優先順位を上げ、こちら側の課長か部長に伝え、その人がまた自部門の中で優先順位を判断する。
どこかで一人でも「いまはそれどころではない」と思えば、そこで終わる。
悪意は必要ない。忙しいだけで止まる。
つまり、その接続は確約されていない。
そして確約されていない経路には、人は本気を出さない。出しても届くかどうか分からないものに、時間をかける人はいない。だから、そもそも出さなくなる。
種が上へ昇るかどうか以前の話で、種になる前に消えている。
私が見てきた限り、そこで消えた話の多くは、技術的に難しいものではなかった。やれば普通にできる。ただ、やるべきだと知っている人と、やれる人が、繋がらなかっただけだ。
縦割りの問題、なのだろうか
こういう話は、たいてい縦割りが悪い、という結論になる。部署の壁を壊せ、横断のチームを作れ、という話だ。
だが、本当にそうなのだろうか、と思っている。
私が見た限り、壁があったというより、橋がなかった。誰かが通せんぼしていたのではなく、そもそも道が引かれていなかった。
そして道がないところに、人は自主的には歩かない。
以前、社内の制度について考えたことがある。誰も本気で書かない制度と、皆が真剣に書く制度があった。違いは意識の高さではなく、その制度が効く場所に繋がっているかどうかだった。
たぶん、これも同じだ。
営業から研究開発へ、確実に届く経路があれば、たぶん皆それを使う。使ってくれと言わなくても使う。効くと分かっていれば、人は勝手に動く。
逆に、経由する人の判断に委ねられている限り、どれだけ「連携しよう」と言っても、たいして流れない。
解は、まだ持っていない
では、どうすればいいのか。
正直、答えを持っていない。
横断の会議を作る、という話はよく出る。だが、あれも結局は誰かが議題を選ぶので、同じところで詰まる気がする。
営業と研究開発を同じ部署に入れる、という手もあるだろう。ただ、それはそれで別の問題が出るのだろうとも思う。
分かっているのは、壁を壊す話ではなく、道を引く話だ、ということくらいだ。
そして、その道は「人が善意で通してくれる」ものであってはいけない。善意は忙しさに負ける。負けない形にしておかないと、意味がない。
一番もったいないのは、優秀な人が揃っていて、それぞれが正しく仕事をしていて、それでも何も生まれないことだと思う。
誰も間違っていないのに、種が育たない。
私が見てきたのは、だいたいそういう景色だった。