まず、入らない
教科書の反応式に、水分は出てこない。
左辺に原料があって、右辺に生成物がある。矢印の上には温度と触媒が書いてある。きれいなものだ。学生のころ、私はそれを本気で信じていた。信じるも何も、それ以外を見たことがなかった。
実際に扱ったのは、生き物由来のものと、人が捨てたものだった。
形が揃っていない。色も違う。同じ名前で呼ばれているのに、袋を開けるたびに顔が違う。そして季節で変わる。梅雨どきに来たものと、冬に来たものは、同じ書類がついていても別物だった。空気中の水を吸うからだ。
最初に壊れたのは、収率ではなかった。選択率でもない。反応そのものですらなかった。
入らないのだ。
湿気を吸った粉は、粉のようには振る舞わない。粒と粒が触れ合う面に水がまとわりついて、互いに滑らなくなる。塊として動こうとする。動こうとして、途中で止まる。詰まる。
投入口の手前で、それは起きた。反応器にたどり着く前だ。反応の議論をする以前に、物理的に、中に入っていかない。
学生のころに読んだどの本にも、そんなことは書いていなかった。
入ったら入ったで、別の問題が起きた。連続で流していく系では、単位時間あたりに使える熱量が決まっている。その熱が、まず水を飛ばすことに使われる。原料が湿っていれば湿っているだけ、水の蒸発に持っていかれる。
残った分で、本来やりたい反応をやることになる。足りない。滞留している時間のうちに、反応が終わらない。出口から出てくるのは、半分だけ変わったものだ。
温度は合っている。時間も設計どおり。それでも進まない。熱は、目に見えない相手に先に食われていた。
御し方は、二段構えになった。
まず前処理を足した。入口の側を直したのだ。中でどうにかするより先に、入ってくるものを整える。それでも足りない分は、設計とレシピを変えて滞留時間を伸ばし、伝熱の量を稼いだ。順番が大事で、入口を直さずに中だけいじっても、いたちごっこになる。
こういう原料を何年か扱っていると、身体にセンサーがつく。
きれいな原料しか扱ったことがない人は、出口を見る。収率が悪い、選択率が悪い、だから条件を振ろう、となる。もっともな話だ。
汚い原料を扱ってきた人間は、入口を見る。まず、入ってきたものを疑う。何かおかしいと感じたとき、最初に手を伸ばすのは反応条件ではなく、上流の工程だ。
理由は単純で、最初が動けば、後ろは全部動くからである。入口が一ミリぶれれば、出口では何倍にもなって出てくる。出口で見えている乱れの多くは、出口で起きたことではない。
だからまず、上流を疑う。
これは化学に限った話ではないと思う。データでも、システムでも、組織でも、同じことが起きている。出力がおかしいとき、人はまず出力の近くをいじりたがる。そこが一番見えているからだ。だが原因は、たいてい見えていないところ、もっと手前にある。
入力を疑う癖は、汚いものを扱った人間にしか、なかなか身につかない。きれいな入力が保証されている世界では、入力は変数ですらないからだ。
疑わなくていい環境にいるうちは、疑う力は育たない。